
昨日は、バンガロール生活21年目にして、2度目のThe Only Placeで、友人と共にランチを楽しんだ。
古き良きバンガロールの面影を残すこの店の歴史は1965年に遡る。わたしが生まれたのと同じ年、ブリゲイド・ロード沿いにオープンした「レジェンド・ゲストハウス」というホテルのダイニングが、この店の前身だ。当時、ステーキやバーガーなどの洋食は、米国人をはじめ、外国人の間でも人気を集めていた。1970年代に入り、ピザやパスタも供し始めたという。
当時、この店の常連客に、日本人男性がいた。彼がある日、紙切れに唇💋の絵を描き、このダイニングのことを”The Only Place” (唯一の場所)と呼んだことから、この店名とロゴになったのだという。
この店のことを調べていたときに、このエピソードを知って以来、得も言われぬ愛着を感じている。とはいえ、訪れたのは、昨日で2度目なのであるが。


亡義父ロメイシュは、1980年代、バンガロールに単身赴任していた。正確に言えば、夫と義姉はデリーの祖父宅に暮らし、母親が1カ月おきに二都市を行き来するというライフ。学業を優先するために転校を避けていたとのことだが、小学生だった夫は、両親、特に母親と離れて暮らすのはとても辛かった。昔は子ども時代のことをよく話してくれた。
当時、両親は「森のようだった」インディラナガールの一軒家に住んでいたらしいが、自宅に電話を繋ぐのも大変だった時代。決められた日時に、母がバンガロールクラブから電話してくれるのを、デリーの家の電話の前で、待ち構えていた。
夏休みや冬休みなどの長期休暇の際にはバンガロールを訪れ、家族でThe Only Placeにもよく来たという。高級ホテルのダイニング以外で、外食ができる店が数えるほどしかなかった時代。ここのメニューは子どもの心を刺激したことだろう。彼はアップルパイやカスタードプリンが大好きだった。
The Only Place以外にも、「南京」という名の中国料理店によく訪れていた。夫は30年前に出会った当初から、お箸の持ち方がとてもうまかったのだが、子どものころ、南京の給仕に箸の使い方を教わったらしい。
夫と出会って30年。インドに暮らして20年。わたしのライフは夫のライフと溶け合って、わたしの心さえ、彼のノスタルジアに浸されているような感覚に陥る。


今、前回の記録を遡ってみたら、昨日と同じシャトーブリアンの「ミニ」を頼んでいた。ミニとはいえ、ヴォリュームたっぷり。サイドディッシュもおいしくて、よく食べた。




食後は、チャーチストリート沿いのカフェへ場所を移す。20年前からは想像もつかない、賑やかに華やかになったこの界隈。まるで映画のセットの中に紛れ込んだような気さえする。いつだって心地よい、高原の風を受けながら、日が傾き始めるまで、友とライフを語り合う。平和だ。
激変し続けるインドの、さらには拡大し、膨張し続ける高原都市バンガロールに身を置き続けて、遍く世界は移ろい、このごろは本当に、ライフをうまく消化できない。
振り返りつつ、反芻しつつ、前に向かって歩いているつもりが、魂は後ろ向きに歩いているような錯覚に陥ることもしばしばで。これが歳を取ると言うことなのか。未知なる感傷、感情との遭遇に戸惑いながら、今日もわたしは、バンガロールに在る。人生の節目をたいせつに、過ごそう。

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