ANNAPURNA ~マルハン家の食卓~

食生活の記録@インド/アンナプルナとは、サンスクリット語で「たくさんの食べ物を供する豊穣の女神」を意味します。

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    🚙オンラインショッピングに頼りきりで、街へ出ての買い物が激減して久しい昨今。昨日の午後は久々インディラナガールへ。住宅街の目抜通りに、レストランやブティックなどが「点在」していたこのエリア。今では「立ち並ぶ」という形容が相応しいほど、数多くの店舗が見られる。特に大通りである100フィートロード、およびCMHロード、12th Main沿いの店舗は栄枯盛衰著しく、10年以上前から変わらずにある店の方が圧倒的に少ない。

    🚙高級スーパーマーケットのNature’s Basketでお気に入りのムンバイ発ヘルシースナック菓子などを買い、オーガニックショップのFresh Earthで石鹸やスパイスを。そのあと久々にFabIndiaに立ち寄り、リネン類をチェック。夫が最近に気に入っている「モディ・ジャケット」、おしゃれなテキスタイルのものがあれこれとある。今度、彼と一緒に来よう。

    🚙久しぶりにDaily Dumpに行き、コンポスト用の素焼きポットを新調。我が家は十年来、自宅で出る生ゴミはすべて、この素焼きポットで堆肥にし、庭の肥料として使っている。プラスチック類や新聞などもリサイクルに持って行くので、我が家から出るゴミはとても少ない。かつて、この団体が企画していたバンガロールのゴミ処理ツアーに参加したのが、ゴミ最低限ライフを始めた契機だ。Daily Dumpには、毎年ミューズ・チャリティバザールに出店してもらっている。

    🚙お気に入りのオーガニックショップ、Happy Health Me。パンやお菓子を作るときの精製小麦粉 (Maida)は、ここのものがいい塩梅で焼きあがる。天然の砂糖やスパイス、シリアル、スーパーフードなどをまとめて購入。しかしこの店も最近、オンラインサーヴィスを始めたので、益々足が遠のきそうだ。

    🚙日本的中国製不思議ブランドの「メイソウ (Miniso)」。噂通り、無印良品とユニクロとダイソーのコンセプトが一体化したような商品構成だ。ミューズ・クリエイションのハンディクラフトチームの素材類を仕分けるのに便利な収納ボックスを久しく探していたのだが、ここにきてようやく、よさげなものを見つけて購入。行った甲斐があった。

    🚙インドのデザイナーズ・ブランドとしては最古のRITU KUMAR。故ダイアナ妃もインド来訪の際、購入されたというそのブランド。かつては絹と綿素材の衣類しか売っていなかったが、今では化繊素材のカジュアルラインもある。SALEの文字に引き込まれて入ったが、いつものように、セール品以外を気に入って買ってしまう。

    💅買い物を終えたあとは、ネイルサロンでペディキュアを。料理の妨げになるので、普段は手にマニキュアをしない。一方、年中、サンダル履きで踵などが乾燥しがちなので、フットケアは欠かせない。インドでは、男女を問わず、足のお手入れをする人が多い。もちろん男性はエナメルを塗るわけではなく、お手入れとマッサージのみだ。

    💅ネイルケアを終えたころには夕闇。最後の目的地、ディナーの待ち合わせ場所へ。一年半ぶりに、「世界を駆けるラテン系日本男児」豊田氏と、彼の会社のスタッフ裕美さんとディナー。買い物で適度に疲れているはずが、話し出すと止まらない。

    🍷文章を書くことも、話をすることも、「読みたい」「聞きたい」という人がいてこその。わたしは自分の表現することが、一般的ではなく、多くの人の共感を得られるものではないということを理解している。それでもこうして日々、淡々と、延々と綴っているのは、たとえ小人数でも、じっくりと読み、何らかを感じてくれているであろう人がいることを、察しているからにほかならない。

    🍷投げた言葉がしっかりとキャッチされ、速やかに投げ返される、というのは、爽快で楽しいものだ。会話のテーマは多岐に亘り尽きず。歳月の流れとともに、とりとめなくヴァージョンアップしていく自分を見つめ直し、余計な部分を削り落として「研ぎ澄まさなけば」とも思う。自分の中にも「洗練」を。

    🍷ちなみにディナーは2度目のSly Granny。タパス風アペタイザーを何種類か頼んでシェアした。どれもおいしい。3人で白赤ワイン計2本を飲み尽くし、ご機嫌な夜であった。ごちそうさまでした!

    😳Sly Grannyという店名。直訳すると、「ずるいばあさん」。なんでこんな名前なんだろうと気になってサイトを見たところ……ユニークなエピソードを発見! あるとき、ニューヨークに住んでいるインド人男性のもとに電話が入る。ほとんど交流のなかった亡祖母の遺言で、彼に彼女が住んでいたアパートメントが、彼に託されたという。

    😳彼が相続したアパートメントは、祖母が集めていたらしき、さまざまなアルコールのコレクションや風変わりな家具などでいっぱいだったという。彼はその空間に惚れ、店にしようと思いつき、同店の誕生に至ったという。おもしろいなあ。ちなみに彼は、今もニューヨークに住んでいるとのこと。次回訪れる時には、家具調度品を、もっとじっくり眺めてみようと思う。

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    大学2年の夏、米国西海岸で経験した1カ月のホームステイ留学を契機に、地元福岡で国語の高校教師になるという進路を見直した。就職情報が乏しい時代。資料を集めて読み漁り、検討した結果、東京の出版社を目指すことにした。就職活動が解禁になった大学4年の夏。東京のウイークリーマンションに1カ月間、部屋を借りた。

    インターネットのない時代。願書などは「郵便」でのやりとりだったゆえ、受験できる会社も10社が限界だった。東京に住んでいたボーイフレンドの助けを借りつつ東奔西走したが、結果は全滅。しかし世はバブル経済にわいている。一旦、東京に出てアルバイトをしながら、就職先を探そうと決めた。

    1988年3月。大学の卒業式の謝恩会で、お世話になった大学教授にその旨を話したら、大いに呆れられた。見かねた教授は、東京に住む大学時代の友人のつてで、旅行ガイドブックを作る編集プロダクションを紹介してくれ、面接にまで同行してくれたのだった。教授の計らいで職を得られたことは切にありがたかったが、労働条件は過酷だった。

    手取り11万円の薄給ゆえ、住まいは千葉県柏市の礼金敷金なしの安アパート。通勤には片道1時間半〜2時間かかる。華やかなバブル景気とは裏腹な、極貧生活が始まった。コンピュータはおろか、ワープロさえないオフィスには、常に紫煙が漂っている。書籍や資料で埋め尽くされた社員らのデスク。灰皿やゴミ箱、流しやトイレを掃除するのも新入社員の仕事だった。

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    その編集プロダクションでは、大手旅行会社が発行する国内外の各種旅行ガイドブックや情報誌の制作を行っていた。ページネーション作りにはじまり、外部ライターへの原稿の発注、文字校正、写真選び、デザイン発注、写植入稿、印刷所への版下入稿など、コンピュータによるDTP(デスクトップパブリッシング)が主流となった現在では想像を絶するような「アナログ」な編集工程を、先輩の作業を見ながら学んだ。労働環境は、今でいう「ブラック」の極みだ。

    入社間もないころから、関東近辺の取材を命じられた。初取材とて一人。見かねた外部のカメラマンに取材の流儀を教わることもあった。一事が万事、極めて雑なOJT(On-the-Job Training)だった。

    とある温泉地へ取材へ赴く前、先輩編集者から「モデル」もやるよう命じられた。もちろん嫌だった。ボーイフレンドも反対した。しかし、逆らうという選択肢はなかった。今のわたしなら当然断る。尤も、今のわたしに誰も脱げとは言うまいが。モデルでもないのに、半裸でカメラマンの前に現れねばならぬという苦行。

    しかし、その一部始終に一番驚いていたのは、ほかでもない取材先の温泉宿の女将だった。それまで宿について質問をしては、メモを取っていた、色気もくそもない編集者が、突然服を脱ぎ、眼鏡を外し、手ぬぐい一枚で現れるのだから。

    だから挙げ句の果てに、仕上がった写真を見た先輩編集者から、「坂ちゃん、二の腕が太い! この写真、使えない!」と言われた時には拳が震えた。時代が時代なら、#MeTooものである。

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    一つ言えることは、わずか半年足らずで「旅行誌編集者」としての基本を徹底的に叩き込まれたということだ。そして入社して半年後、初めての海外取材を命じられた。行き先は、台湾だ。この台湾取材が、その後のわたしの「旅する人生」に大いなる影響を与えることになる。

    「異国を旅するに際しては、歴史を学ぶべし」ということだ。

    ●1895年、日清戦争に勝利した日本は台湾統治を開始。以降、1945年に日本が敗戦するまでの50年間に亘り、台湾は日本だった。この間、台湾で生まれた人は、日本名を受け、日本語を話す、日本人だった。

    ●1949年、中国における「国共内戦」の結果、毛沢東率いる共産党が「中華人民共和国」を建国。一方、蒋介石総統率いる国民党政府であるところの「中華民国」は、その拠点を喪失したことから、臨時首都を台北に移転。戒厳体制が発布される。台湾では「犬(日本)が去って猿(中国)が来た」と形容される。

    ●1987年、米国からの圧力、及びソ連ゴルバチョフ政権の「ペレストロイカ」による緊張緩和政策の影響などにより、38年に亘る戒厳令が解かれる。

    ●1988年1月、蒋介石の息子、蒋経国総統が死去。李登輝が総統に。

    このような歴史的変化が起こった直後の1988年11月、海外からの旅行者を受け入れるべき台湾が門戸を開いたこともあり、ガイドブックの取材対象国となった次第である。歴史的背景を学ぶこともないまま、自分と同じ23歳の先輩編集者二人と、外部のカメラマン二人とで、台北へと飛び、2班に分かれての取材となった。240ページのガイドブックを制作すべく、台北、高雄、台中、台南、花蓮、墾丁などを3週間かけて巡る強行スケジュールだ。

    なにしろ、「手書き」の時代である。バックパックに山ほどの資料を詰め込んで、連日、レストラン、店舗、観光地、ホテルなどを何十件も取材する。通訳は、日本統治時代に生まれ育ったおじいさんゆえ、彼には随所で休憩してもらい、どうしても通訳な必要なところだけ、同行してもらった。

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    取材中は毎晩、資料整理に追われ、数時間しか眠ることができず、慢性的な疲労に襲われていたものの、初めて食する台湾の料理のおいしさには、目がさめる思いだった。蒋介石が臨時政府を樹立する際、中国本土各地の名シェフを連れてきたというだけあり、台湾では、北京、広東、四川、上海、湖南……と、中国各地の料理が揃っていた。

    また、茶藝館では、得も言われぬ芳しい香りを放つ黄金色した凍頂烏龍茶のおいしさに衝撃を受けた。日本で飲んでいたあの茶色い飲み物はいったいなんだったのか、と思わせられる、別世界の味覚だった。

    東京では、極貧生活ゆえ、ろくなものを食べていなかったわたしにとって、それらの料理は、たとえ写真撮影を終えたあとの冷めたものであっても、おいしすぎた。疲労でお腹の調子が悪かったにもかかわらず、毎日毎日、よく食べた。満腹のあと、しかし胃腸を整えてくれる「高雄牛乳大王」の濃厚なパパイヤミルクを何杯飲んだことだろう。

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    数ある食の記憶の中でも、突出している店がある。そのひとつが、鼎泰豊だ。繁華街沿いの、古びた3階建てのその食堂は、しかし早朝の開店時からお客でいっぱいだった。店頭では、何人もの従業員が、小さな小さな小籠包をせっせと包んでいる。

    「小籠包(しょうろんぽう)」という言葉さえ、日本にはまだ届いていなかった時代。テーブルには、シンプルな豚挽肉の小籠包をはじめ、蟹味噌入り、青菜入り、あんこ入りと、次々に蒸籠が供される。蓋を開ければ、立ち上る湯気と芳香! このときほど、写真撮影の時間が長く感じたことはない。

    やや冷めてしまったものの、その肉汁たっぷり、風味濃厚な小籠包のおいしさたるや、筆舌に尽くし難く、疲労困憊の五臓六腑に染み渡る滋味であった。その後、同店は世界的に有名になり、わたしもシンガポールや香港の店に立ち寄った。もちろん、おいしい。おいしいが、あの台北の本店で食べた時の衝撃は、唯一無二だ。

    社会人として初の海外取材先となった台湾では、各地で日本統治時代の残像を目にし、未知なる世界の入り口を目の当たりにした。この取材は、わたしにとっての「世界を見る目」を開く、契機となったのだった。

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    *取材時、カメラマンが撮ったポジティヴ・フィルムに残された23歳のわたし。疲労困憊でやつれている割に、ばっちりとメイクをしているところが涙ぐましい。時代を映す真紅の口紅。エスニック雑貨店で買ったストールは、今見るに、インドもの。

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    🎂I baked “Japanese version Shortcake” for my husband and the members of Muse Creation. Yummy!
    🍰今週もまた、華やかなスイーツ。先週に引き続き、今週も「ちょっとだけ凝ったもの」を作りたく、ショートケーキを。

    🍰実は先週、Studio Museのお茶の時間に、フルーツタルト食べつつ話していたところ、メンバーの一人が「インドでは、いちごのショートケーキ、売ってませんよね」と口にしたのが契機(ケーキだけに!😉)。

    🍰日本ではスタンダードすぎるほどにスタンダードなショートケーキ。実はあのふわふわスポンジに生クリームといちごの3点セットなショートケーキは「日本ならでは」のスイーツだ。

    🇬🇧ショートケーキの発祥地は英国とのことだが、英国のそれはスポンジではなくビスケット風のがっしりとしたもの。米国のものは、ベーキングソーダが加わるものの、日本のようなフワフワ感、および「ピシッとしたシェイプ」ではない。先日わたしが記したところの「チョコチップクッキー」的な作りっぷりである。

    🇯🇵日本のスポンジケーキの発祥は大正時代の不二家だと言われている。クリスマスにショートケーキというのも、不二家のケーキが端緒ではなかったろうか。ヴァレンタインズデーにチョコレートを贈る習慣を日本にもたらしたのも、不二家の貢献度が相当に高かったように記憶する。1970年代、ハートチョコレートは相当売れたはずだ。

    🍓バンガロールのいちごの季節は限られている。今が旬とあらば、ショートケーキを作るべきではなかろうか……と思ったら、どうしても食べたくなった。昨夕、ドライヴァーのアンソニーに大量の卵といちご、生クリームを買ってきてもらい、昨夜のうちに、生地を焼いておいたのだった。

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    🍳材料は、卵、砂糖、小麦粉、コーンスターチ(コーンフラワー)のみ。バターは使わない。卵と砂糖をしつこく泡立てるのが、コツといえばコツ。ちなみにわたしは、ロールケーキのレシピをそのまま採用。くるっと巻く代わりに、2ロール分を焼いて、重ねただけである。生地が薄いゆえに、焼き時間も12分程度と短い。計24人分。写真は朝組メンバーの分をすでに切り分けているので、ほぼ正方形だが、最初は長方形である。

    🍍いちごだけでなくパイナップルも挟み、庭のミントを摘んで飾って、見た目も少し華やかに。手に入ったいちごは、毎度のことだが、大きさ、形が不揃いだったので、ザクザクと切り、アメリカンにざざっと盛り付けようかと思ったが、今日のわたしは日本人モード。大きさを適宜整えつつ、比較的几帳面な仕上げにした。

    🔪毎度おなじみカステラ包丁で切り分けるも愉し。残りは明日のおやつに。実は翌日の、少しスポンジがしっとりとしたものも、風味が増しておいしい。アーユルヴェーダグラムでの地味食の反動が、まだ続いている模様……。おいしいものを、少しずつ。幸せに味わおう。

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    やるべきことが山積しているときに限って、どうでもいいことをやりたくなるというのは、結局、やるべきことが大したことではないのかもしれない。とさえ思う。

    ここ数年、年に一度の大掃除を「年初」にしているがゆえ、昨日から書斎のあれこれを引っ張り出して掃除をしようとするのだが、陽光が心地よすぎて眠たくなったり、4週間後のジャパン・ハッバ(日本祭り)で踊るダンスの練習をしはじめたり、かと思えば、ストライキで夫が自宅にいることもあり、ややこしいランチを作ってみたりと、全く集中力が続かない。

    2月末の女子旅に向けて、フライトやホテルの選択をするだけで半日以上かかったり、かと思えばブレンダーが壊れたので注文すべく商品比較をしているうちにも数十分が過ぎたりと、時間は容赦なく流れていく。

    そんなどうしようもない日常の記録をさらには、こうしてインスタグラムに残したりもしてどうするつもりだ。ホームページの整理をしたり、過去旅の記録をこつこつと更新したり、もっと先にすべきことがあるはずなのに。それよりも、仕事関係者へのメール返信を優先せねば……。いくらインドがストライキで休日でも、日本は稼働しているのだから。

    ともあれ、ひさしぶりに作った「バナナの茎」を使用したキンピラが、あまりにも絵的にキンピラっぽく仕上がったので、「定食風」にしてみた今日のランチ。だいぶ大雑把な卵焼きと味噌汁だが、炊きたてのごはんと食べれば、素朴においしい。食べすぎ注意だ。🍚

    ちなみにバナナ🍌は、その花や茎も栄養価の高い食材として、特に南インドではよく食されている。茎はシャキシャキとした歯ごたえでゴボウよりもクセがなく、食べやすい。

    夫の好物、高野豆腐ともよく合うおいしさだ。

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    海と山に抱かれた山陰地方の小さな女子大。地元の福岡で、高校の国語教師を目指して日本文学科の教職課程に進んだわたしは、入学以来、大学と寮とを往復する日々を送っていた。漱石、三島、芥川……。日本文学を読み漁る一方で、海外への憧憬は募った。

    バブル経済に賑わう世間とは隔絶された世界で、午後7時の寮の門限に息を詰まらせた籠の鳥は、自ら扉を開け放ち、太平洋を飛び越え、カリフォルニアへと羽ばたいた。旅行会社が主催する1カ月の語学留学&ホームステイプログラムへの参加を決めたのだ。1985年の夏。九州近辺しか行き来したことのなかったわたしが、初めて異国の地を踏んだ夏。

    「日本は狭い。小さな国だ」と言われても、日本しか知らないわたしにとって、玄界灘は広く、阿蘇山は大きかった。しかし、その尺度は、ロサンザルス国際空港に降り立った瞬間に、吹き飛んだ。それぞれに異なる肌の色、髪の色をした、周囲を歩く人々。わたしたちのスーツケースをバスまで運んでくれたポーターの黒人男性の、見たこともないほど大きな靴。日本では大柄と言われている自分が華奢に見えるほど、たくましい体格をした女性たち。

    どこまでも青く広い空。延々と連なる山脈……。その1カ月間、見聞きしたあらゆるものが、それまでの、わたしの尺度や価値観を、ことごとく打ち砕いた。大きな存在を知って初めて、小ささを知る。テレビや活字では感じえない、実物大の衝撃。わたしはこのときはじめて、「尺度(スタンダード)」という言葉の曖昧さを知った。「大きい」「小さい」という単純な尺度でさえ、普遍のものではない。多くを見ればみるほど、その基準は行ったり来たりする。

    数十名の日本人学生は、ロサンゼルス郊外のチノヒルズという町の家庭にホームステイをし、平日は語学学校に通うという生活だった。わたしがお世話になったのは、モンロー家。ホストマザーのバーバラとは、渡米以前から何度か手紙のやりとりをしていた。父親のグレッグはロス市警の刑事。長男マシュー、長女ヘザー、次男ジョン、次女クリスタの6人家族だ。まだ5歳だった末っ子のクリスタは、英語が覚束ないわたしに対し、まるで「妹」のように、世話をしてくれた。家の中のものを説明してくれたり、ご近所さんへの「挨拶回り」に連れ出してくれたりもした。

    初めての異国での食生活は、何もかもが新鮮な驚きに満ちていた。モンロー家は敬虔なモルモン教徒だということもあり、教義に従って料理にほとんど調味料を使わなかった。食卓には塩と胡椒が出され、丸ごとのトウモロコシや、蒸しただけのマッシュドポテト、ひき肉だけのハンバーグなどに、自分で味をつけて食べるのだ。すなわち、決して美味とは言い切れなかったが、稀有な経験だった。一方の外食では、毎回ポーションの大きさに驚いた。ジュース1杯、水1杯のグラスの大きさ。一人前のお皿の大きさ。ヴォリュームたっぷりのアイスクリームにトッピングされる、缶から絞り出される生クリームの迫力。黒と赤の、まるでゴムのようなリコリッシュという名のお菓子。クリスタに「おいしいから食べて」と言われ、渋々、口に入れたが、あまりのまずさに吐き出しそうになった。

    一方、ドリトスのトルティーヤチップスには、はまった。まさにやめられない、とまらないおいしさ。日本にはないスナック菓子の歯ごたえと味わいにすっかりはまったものだ。日本でも販売されればいいのに……と思いつつ帰国した。その翌々年の1987年、ジャパン・フリトレーからドリトスが販売された時は、本当にうれしかったものだ。

    ある日、バーバラが「今日はチョコチップ・クッキーを焼きましょう」というので、わたしも手伝いますとキッチンに立った。わたしは中学のころからお菓子を作るのが好きで、時折、クッキーやタルトなどを焼いていた。当時、まだ几帳面だったわたしは、レシピに忠実に、クッキーの厚みやデコレーションなども丁寧に、芸術作品を制作するがごとく、菓子作りを楽しんでいた。

    さて、バーバラはキッチンで、小麦粉、バター、砂糖、チョコチップ、卵、ベーキングパウダーなどの材料を取り出すと、計量もそこそこに、全てをブレンダーのボウルに投入。スイッチを入れて一気にかき混ぜること1分程度だったか。少し柔らかめのその生地をスプーンですくい、大きなベイキングシートに、ぽとん、ぽとんと並べ落として、準備完了。手伝う必要皆無! わたしはといえば、(これでいいわけ?)と心中で叫びつつ、その大雑把なプロセスに目を見張るばかりだ。「味見してもいい?」というクリスタに、バーバラが焼く前の生地を食べさせているのにも驚愕した。

    日本の平均的なオーヴンの軽く4倍はありそうな、巨大なオーヴンに入れて焼くこと十数分。家中が甘い香りに包まれたころ、チョコチップ・クッキーもこんがりと焼きあがった。粗熱がとれたあと、1枚、食べてみる。サクサクと香ばしい生地、とろりと溶けたチョコレート。その甘すぎるほどに甘いクッキーのおいしいこと! 時間をかけて丁寧に作るもいいけれど、こういう大雑把なものもありなのだな、と、目から鱗が落ちた。

    カリフォルニアの空の下で「このパスポートが切れる前に、わたしはまた必ず海外を旅する」と決めた願いは叶い、わたしは大学卒業後に上京。海外旅行誌の編集者として、社会人の第一歩を踏み出した。この一カ月のホームステイの延長線上に、わたしの人生は、連なり続けている。

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    🍓年末年始の間、料理をしていなかったせいもあり、「少しややこしいもの」を作りたくなった。昨夜は魚の煮付けなどを作る傍らで、カスタードクリームを作ったり、タルトの生地を捏ねたり、イチゴを煮込んだりの下準備をしていた。久しぶりに、カスタードクリームのフルーツタルトを作るために。

    🍓最初は、夫の好物であるアップルタルトかタルトタタンを作るつもりだった。しかし昨日、久しぶりに買い物に出かけたら、フルーツショップの店頭でイチゴを見つけたので、イチゴを主役とすることに。インドのイチゴは決して甘くはない。しかし、天然の糖とレモン汁を加えてしばらく放置し、果汁が滲み出たあとに、しばらく弱火で煮込むと、新鮮で爽やかなストロベリーソースになり、これがタルトによく合うのだ。スコーンなどにも合う。ヨーグルトに混ぜてもいい。パンを焼いて、バターと合わせてもおいしい。

    🍓本日は今年最初のSTUDIO MUSE。参加者は少なめだったので、一人ずつに行き渡るよう、12個のタルト生地を焼く。もちろん、夫の分も忘れずに。タルトを焼くのは、お茶の時間の少し前。家中がいい香りに包まれるのもまた、幸せな気持ちにさせられるので、敢えて直前に。

    🍓デコレーションは自分たちでやるのが楽しいので、トッピング用のフルーツだけを準備する。煮詰めたイチゴに新鮮なイチゴ、パイナップル、バナナ、そして庭のミントを摘んで、彩りを添える。バナナとチョコレートソースというのもおいしいが、あれこれ欲張ると訳がわからなくなるので、生クリームにとどめておく。

    今日から初出勤の夫。午後2時過ぎに、電話が鳴る。「タルト、取っておいてよ。それとも、今から帰宅して、みんなで一緒に食べた方がいい?」

    🍓相変わらず、おやつに対する熱意は、たいへんなもの。タルトは取っておきますから、ご心配なく! ミューズ・クリエイションを始めてまもないころ。あるとき、参加者が増えたことがあり、おやつを残さずにいたことがあった。朝、わたしがロールケーキを準備しているのを見て、相当に楽しみにしていたらしく、帰宅後の落胆、及び憤慨は、たいへんなものだった。以来、何があっても、彼の分はきちんと、取り分けている。今日はあいにく、急に来られなくなった人が3名いたので、その分、まだ残っている。週末のおやつにしよう。

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    ほんの少し、日本の正月を意識した夕餉。お椀の蓋を開けたら、三つ葉の香りがするお雑煮。と言いたいところだが、単なる味噌汁の哀しみ。

    ブリや餅が恋しいが、無い物ねだりと言うもの。脂がのったインディアンサーモンの煮付けと炊きたてのご飯で十分に🍚幸せ。アーユルヴェーダグラムの名残のような野菜炒めも悪くない。

    ちなみに魚は多めに盛り付けているが、全部食べるわけではない。

    この大皿料理感覚が食べ過ぎを招くのだよな。改めねば。

    先日の一時帰国で調達した八海山をお屠蘇がわりに。せめてシナモン風味でも加えればよかったか。

    結婚して、少し落ち着いたら和の食器を揃えたいと思いつつ幾星霜。

    インドには和食に合う陶器が手に入るので、意識して探してみよう。実家からもらってきたお椀だけが、本気出している。

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    昨日、アーユルヴェーダグラムから戻り、本日より、普段の生活がはじまった。

    留守中、猫らの面倒を見てくれているドライヴァーのアンソニーによると、我々の不在中、彼らはだいぶ不機嫌で、喧嘩が絶えないようだったが、わたしたちが戻ったら、無愛想ではあるものの、少しうれしそうに見える。

    空気は澄み、凛と冷たい朝。にんじん、ムサンビ(スイートライム)、ザクロ、レモンが基本の、いつもの新鮮ジュースを作る。

    チアシードやリンゴ酢、モリンガ、スピルリナなどを混ぜたりもする。

    数年前より、ほとんど毎日飲んでいるコールドプレスのジュース。折に触れて記しているが、この一杯に、だいぶ助けられている。

    体重こそ微減(1.5キロくらい。誤差の領域)に留まったものの、体内が普段にも増してデトックスされているが故、五感が敏感になっている。

    視覚、聴覚もさることながら、味覚、嗅覚、触覚が顕著に。

    普段から苦手な食品添加物、洗剤や香水などの人工的な香料、化学繊維などを、一段と受け付けなくなる。

    普段はそういうものをして「ケミケミする」と呼んでいるのだが(「ケミカル」をもじった坂田造語)、今朝、ヘアサロンへ行った時に、ヘアサロンのシャンプーで洗髪された瞬間、「頭皮がケミケミする〜!」と、心中で叫んだ。

    一方で、オーガニックバンブー繊維の衣類がいつも以上に心地よく感じ、天然素材の洗濯洗剤の香りに気分が和む。

    そう。敬虔なクリスチャンであるメイドのマニが、今年は教会にて、主要な儀礼の担当となっているらしく、クリスマスから10日間、長期休暇を取っている。

    ゆえに、朝から掃除をし、山ほどの洗濯物をし、その間にヘアサロンへ行き、ランチを作り……と、慌ただしい。

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    そんな最中、生まれ故郷の熊本で、また地震とのニュースに、心が痛む。

    もう10年以上、月に一度、インドをレポートしているFM熊本の担当女性に、新年の挨拶メールを送った矢先のこと。

    被害が少ないことを祈るばかりだ。

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    12月24日。今日はクリスマス・イヴ。そして明日はクリスマス。サンタクロースとトナカイが、シャンシャン、シャンシャンと鈴を鳴らしながら、雪降る街にやってくるクリスマス。

    ……と、敢えて何度も反芻しなければ、年末気分が皆無のバンガロール、本日の最高気温30℃。

    今日は、ミューズ・クリエイションのダンサーズのメンバー有志と、2月のジャパン・ハッバ(日本祭り)のステージで着用する衣装を探すべく、ローカルエリア、マレシュワラム界隈を探検した。

    ローカル探検……といえば、かつて「ごく一部の人々」を風靡した「ローカルフード探検隊」を思い出す。あれはミューズ・クリエイションを創設する前のこと。南インドのローカルフードが大好きな友人らの熱意とともに立ち上げた探検隊で、短期間に何軒ものローカルフード店を訪れてはレポートを残したものだ。

    その記憶が蘇ったことから、買い物のまえに、まずマレシュワラムで人気のドサが味わえる店、CTRへ行くことにした。人によっては、ローカル食堂が苦手な人もいるので、無理に勧めず、行きたい人だけということにしたところ、参加メンバーは超ローカルにも怯む系ではなく全員参加だった。

    ホリデーのせいか、平日ながらも大盛況。都合30分ほども待って、ようやくテーブルに着く。ギーがたっぷり、「揚げ焼いた」ようにクリスピーなカロリーの塊を、指を油でギトギトに、唇をテラテラにしながら食べる。

    久しぶりに、おいしい。多分、みんなでワキャワキャ言いながら食べるから、よりおいしい。

    食後の甘ったるいサウスインディアンコーヒーも、相変わらずおいしい。カロリーでカロリーを制す。たまらない。

    ドサを食べ終えて、もうすでに終了した気分になりつつあったが、気を取り直して喧騒の街へ。

    わずか数百メートル、いや数十メートル歩くことさえ「命がけ」なこの界隈。「歩きやすい靴で」が参加条件。道路を渡るたび、片手を掲げて迫り来るバイクやオートや車に向かって「気」を送る。そう、まるで気功の師匠が、「ハッ!」と喝を入れつつ人間に触れずに飛ばすように。向かってくるバイクを、気で飛ばすくらいの勢いで。

    普段、インドでサリーや衣類を調達する際には、インドならではのシルクや木綿、麻、あるいはそれらの混紡など、天然素材のものを探すのが常。しかし今日はダンスの衣装につき、なるたけチープな化繊もの、そして舞台映えする派手なもの、という視点でショッピング。

    店に入るたび、「安い化繊素材のサリーあります?」などと尋ねる奇妙さ。

    「だめ。この店は高品質すぎる」と言いながら、退散する奇妙さ。

    化繊であれば、300ルピー、400ルピーという廉価で、かなり派手な衣類が入手できることの、知ってはいたけれど、再確認するのもまた、いい経験。

    あちこちを巡って、一同、疲労困憊。最後に「マントリスクエア・モール」のスターバックスに入って、ほっと人心地つく。

    ドサとコーヒー、それにシェアしたセモリナのスイーツやボトル水を含め、一人あたり約90ルピーだったローカル食堂。一方、スターバックスはコーヒー1杯が200ルピーを超える。

    ちなみにわたしが移住した2005年ごろは、南インド拠点のコーヒーチェーン、Cafe Coffee Dayのコーヒー1杯が20数ルピーだった。

    わずか十年ほどの間に起こった、この国の物価の高騰と、未だ大いに物価の異なる世界が共存する状態に、改めてこの国の社会構造の一筋縄ではいかなさを痛感する。

    このごろは、なんでもオンラインショッピングですませ、必要なものしか買いに出かけなくなっていたが、時にはこうしてローカルのエリアに足を運び、リアルな喧騒に身を置くことも大切だと実感する。

    メリー・クリスマスイヴ!

    【追記】

    翌日のTimes of Indiaのバンガロール版にバンガロールの各種レストランの人気投票結果が出ていた。CTRがティフィン(南インドのローカル食堂)部門で1位になっていた! いいタイミングで「名店」を体験してよかった。

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    Finally, for the first time, I visited “The Only Place”, today!!💋

    バンガロールの老舗「洋食」レストランといえば、The Only Place。バンガローリアンなら誰もが知る、ビーフステーキが有名なレストランだ。

    そんな有名店ながら、今日わたしは初めて、この店を訪れた。我が英語の先生であり友人であるシブ、そして彼女の娘であり、今年の前半、わたしのもとでインターンシップをしていたピクシーと3人でランチを楽しんだ。彼女たちにとってはもう、昔から行きつけの場所。いつか一緒に行こうと言いながら、機を逸したままだったのだ。

    わたしはシャトーブリアンの「ミニ」を頼んだが、しっかりどっしり大きいサイズ。ミディアムレアがほどよい歯ごたえでおいしい。満腹なのだが、昔ながらのパイがお勧めだということで、シブはアップルパイを、ピクシーとわたしはストロベリーパイを注文。カスタードクリームもたっぷりと、しっかり甘く、素朴なおやつ。

    バンガロールに13年以上も暮らしていながら、初めて見るバンガロールの断片に、いにしえのこの街を偲ぶ。

    * * *

    バンガロールがコスモポリタンな街である理由は、英国統治時代の影響が多大だ。多くの英国人が暮らしていたこの街には、ビール工場(現在のUB〜United Brewery〜シティがある場所 )がつくられ、日曜の教会での礼拝のあとにランチを楽しむ「サンデーブランチ」の文化が育まれ、牛肉が食され……と、他のインドの大都市とは異なる独自の文化が育まれてきた。

    70年代から「パブ・シティ」とも呼ばれ、古くからアルコールに寛大な街でもあった。現在では、たがが外れたように、ブリュワリーがあちこちにオープンし、パブやバーが乱立し、アルコール三昧な街に拍車がかかっている。

    ……などとバンガロールの背景について書き始めると尽きないので、この辺にしておく。

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    現在はミュージアム・ロード沿いにあるこの店。そもそもは、ブリゲイド・ロード沿いにあった「レジェンド・ゲストハウス」というホテルが端緒だと聞いたので、背景を知りたく、サイトを開いて調べてみた。

    1965年にオープンしたというそのホテル(わたしの生年と同じ!)。ダイニングで出していたステーキやバーガーなどの料理は、米国人をはじめ、外国人の間でも人気を集めていた。1970年代に入り、ピザやパスタも供し始めたという。

    記事の中に、面白い一文を発見した。当時、この店の常連客に、日本人男性がいたという。彼がある日、紙切れに唇💋の絵を描き、このダイニングのことを”The Only Place” (唯一の場所)と呼んだことから、この店名とロゴになったのだという。

    1970年代、バンガロールに赴任されていた日本人男性。どんな方だったのだろう。興味深い。

    1980年代に、現在のロケーションであるミュージアム・ロードに移転したようだ。我が夫アルヴィンドが子どもの頃、義父が転勤でバンガロールに暮らしていた時期、彼ら一家もしばしば訪れていたという。当時、重要な社交場のひとつであったバンガロールクラブからもほど近く、友人ファミリーと過ごすのにも好適な場所だったようだ。

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    The Only Placeでは、ホットコーヒーが出されないので、食後は3人でバンガロールクラブに場所を移す。コーヒーを飲みつつ、語りつつ、インドでの、我が歳月の連なりの長さにも、しみじみと感じ入る午後だった。

    2018年も、まもなく幕を降ろす。